川と街の関係を3回に分けて書いてみようと思っています。

江戸・明治・大正期、川は人々の暮らしの近くにあるのもでした。
しかし昭和の時代、川は次第に私たちから遠く離れた存在になったのです。
原因は、川の汚染と護岸です。

川はきれいだった


歌川国芳「東都第一角田川(すみだがわ)の白魚」という浮世絵があります。白魚は、水がきれいな所に群生する魚。それが隅田川でも捕れたんです。

2012年2月16日に放送されたブラタモリ「江戸の運河」で六間堀跡にお住まいの方に、まだ堀があった当時の様子をインタビューしていました。
「きれでしたよ。泳いでいる方もいました」と答えています。

江戸から戦後まで川は私たちが考える以上にきれいだったようです。

工業化ー浅野 深川セメント製造所

明治23年 深川セメント製造所。遠くにも沢山の煙突がみえ、街中に工場が沢山あるのがわかる。

昭和3年 小名木川工事,横十間川工事

このようにきれいだった川も明治、大正と近代化が進んだことで工場ができ川が汚れていきます。

清洲橋の渡る手前右にある浅野セメント製造所(現在のアサノコンクリート株式会社深川工場)では、大正時代に煤塵が問題になり工場附近には深川青年団が組織され、 工場移転の要求が行われたようです。

また深川浦漁業組合長から東京府知事へ出された「御願」 には

運搬スル塵芥船ニシテ途中監視ノ隙ヲ窺ヒ塵芥ヲ海中 ニ投棄スルモノアリ、又陸揚ノ際擔架ニテ陸上迄運バズ故意ニ誤テル如キ手段ヲトリ 桟橋上ヨリ海中ニ投棄スルモノアリ

煤塵を舟から川に投棄している様子がわかります。

第2次世界大戦で産業活動は停止していましたが、昭和25年の朝鮮戦争を契機に再び重化学工業を中心に急速に発展します。特に江東区、墨田区は顕著であったのです。

工場数の推移と隅田川の汚染

上のグラフは、工場の推移と隅田川の水質の変化を重ねたものです(赤のラインが水質)。水質の検査データが昭和36年ごろからしか見当たらないので、汚れていく過程はわかりませんが、工場の減少と共に川がきれいになっていくのが分かります。

昭和42年 隅田川「図で見る環境白書 昭和57年度版」

江戸は循環型社会だった

大根を持って、現物交換で糞尿を集める農民 『金草鞋』より。大根の入っている桶に屎尿をいれたのかな?

江戸時代、糞尿はお金(野菜)と交換できました。
そのお金は、長屋では大家さんの懐に。とてもよく出来た仕組みですね。
江戸を完全な循環型社会という人がいますが、納得しました。
※尿は、溝や堀に捨てていたとの説もあります。

それが、昭和8年に糞尿の汲み取り料金設定され、汲み取ってもらう側がお金を支払うようになります。都市の人口増加、人口肥料の出現、都市部の耕地が減ったことで、需給のバランスが逆転したようです。

その後、工場の増加や下水の川への流れ込みなどで、川のよごれがひどくなり1961年に花火大会が中止されることになるのです。

A.P. + 6.3m 護岸の建設

昭和57年 隅田川「図で見る環境白書」より まだテラスなどはない。

東京は、過去に幾度となく高潮被害にあっています。
昭和24年キティ台風では、死傷者122人。昭和33年7月の台風10号では2.91mも水位あがりました。同年9月の台風22号は東京で一日の降水量が392.5mmという記録的な大雨をもたらし、死者203人を出す被害となりました。
さらに大正6年には床上浸水131,334戸、死者1,524名の大災害もありました。(この高潮の後に芭蕉稲荷のご神体となる石蛙が発見されました)

これらの被害をなくすために、治水事業として隅田川の防潮堤整備が昭和38年からはじまりました。現在のA.P.+6.3mは、伊勢湾台風級の高潮に備えるためです。

しかし、この人々を守る高さ6mの護岸が川と街をさらに分断する事になるのです。

※A.P.とは隅田川の水位を測るため、現在の中央区新川2丁目地先の河岸に設けられた霊厳島量水標の目盛による基準面(Arakawa.peil 荒川の水準線の意で「peil」はオランダ語)の略称です。

葛飾北斎「高橋からの富士」

これは、アイキャッチ画像に使った葛飾北斎「高橋からの富士」です。橋の下で釣りを愉しんでいる人、漁をする人など川がとても近くにあります。

高橋の上から観る夕日をじっと眺める時があります。
きっと、同じような景色を江戸の人も見たに違いありません。
この川の眺めこそ、私たちの原風景ではないでしょうか。

最後に芥川龍之介の『大川の水』を朗読をお聞きください。

青空文庫「大川の水」
https://www.aozora.gr.jp/cards/000879/files/123_15167.html

 

<参考文献>
文学作品から見た20世 紀前半の隅田川の水質の変遷
https://www.jstage.jst.go.jp/article/grj1984a/70/10/70_10_642/_pdf/-char/ja

加藤邦興『公害と技術の近代史』 第 3 章「公害地帯の形成」
http://home.hiroshima-u.ac.jp/ichikawa/katou.pdf

雨水排水路が汚水を流す下水道に 江戸から東京へ流れる排水の歴史
http://www.mizu.gr.jp/kikanshi/no18/02.html

図で見る環境白書 昭和57年
https://www.env.go.jp/policy/hakusyo/zu/eav11/eav110000000000.html#2_3

隅田川流域河川整備計画 平成28年度
http://www.kensetsu.metro.tokyo.jp/content/000007325.pdf

東京低地における工場等の分布を主体とした土地利用状況の変遷
http://www.dl.ndl.go.jp/view/download/digidepo_8767218_po_p500-507.pdf